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株式会社 中澤屋 NAKAZAWAYA
株式会社 中澤屋 紹介【Introduction】

株式会社 中澤屋の外観 
   
 中澤屋南側駐車場  中澤屋北側駐車場
 
 中澤屋正面入口
  株式会社中澤屋の前身は、慶応年間(1865~1868年)に開店したと四代目店主の島田左久から聞いています。現在では地元(長野市)の小・中学校の制服、運動着をはじめ、通学鞄、自転車ヘルメット、シューズ、給食着などの取り扱い店でもあり、地域からの厚い信頼を得ています。

 戦前は、生糸中心の商売を展開していましたが、時代の変化とともに、戦後は「中澤屋呉服店」として、呉服中心の店になりました。

 大型店の進出や交通網の発達に伴い、商品を洋服・洋品中心に切り替え、「中澤屋洋品店」と改名しました。その後、「中澤屋」と改名し、学校用品・寝具・呉服・洋品・たばこなどを扱ってきました。平成27年3月2日、法人化して「株式会社中澤屋」になり、主に学校用品や洋品、寝具、白衣を扱う店として現在に至ります。

 法人化に伴い、営業時間を午前9時(平成28年度からは午前9時30分)から午後7時と定めました。地域に根ざした、地域の店として、営業時間前であったり、営業時間後であっても、緊急を要するお客さんのためにしばしば店を開けることもあります。

 中澤屋の店舗は、設立当時(慶応年間)のものを改修しながら使用しています。昭和60年に、店舗の半分を取り壊し、駐車場(北側)にしました。壁が厚い土蔵作りという構造の建物で、しかも低い屋根瓦の店舗は、否が応でも伝統を感じさせるものです。店舗前の道路が改修・舗装されるに従って高くなり、従って、店舗へは一段下がって入るような感じになるのも、伝統を感じさせます。さらに極めつけは、徐々に道路が店舗の軒下まで拡幅されてきました。「いつの間にか軒下が公道になってしまった!」ということには歴史を感じます。

 中澤屋は、初代島田佐吉が篠ノ井より分家に出て商売を初め、二代目島田左栄、三代目島田まさ、四代目島田左久、五代目は島田美登子と店主を務めてきました。平成27年(2015年)4月1日からは六代目にあたる島田左一郎が代表取締役に就任しました。


株式会社中澤屋 代表取締役社長 島田左一郎

写真で見る中澤屋の歴史
 
  昭和33年4月に撮影した写真です。中澤屋の正面入り口が左端に写っています。中心に立っているのが四代目店主の左久(37歳)で、車のボンネットに座っているのが六代目の左一郎(4歳)です。残念ながらこの車は中澤屋のものではありません。私の記憶が正しければ、当時篠ノ井で繁盛していた「浅井商店」のもので、シャッターを押してくれている人は「浅井商店」のしんちゃんです。(しんちゃんは当時中澤屋へ営業、配達などで頻繁に訪れていました。左一郎とよく遊んでくれたことを覚えています。)
 店前の道路(旧北国街道、現在は市道)は舗装されていませんし、道路と店の入り口の高さは一緒で、現在のような段差はありません。軒下にはタバコの売り場があり荷物がたくさん置かれています。今は交通の邪魔だと叱られそうで、ありえない光景です。ちなみに現在、軒下は道路(市道)になっています。入り口の戸は木製で、宣伝の旗が2本立てられています。
 当時の中澤屋は、呉服販売が中心であったように記憶していますが、看板を見る限り、学生服を扱っていたことも分かります。タバコは専売公社から認可を受けたところしか販売できず、その認可を取ることは当時たいそう困難であったようです。
 長屋のように横長の建物でしたが、昭和50年代頃、駐車場を作るために北側半分を取り壊しました。


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